2017.9.8
設計の池田です。
今年の夏、建築家宮脇檀の仕事に触れる機会がありました。
「宮脇檀ドローイング展~手が考える」
宮脇檀と聞いても建築の仕事をしていないと聞いたことが無い方もいるかもしれませんが、
1960年代~1990年代まで活躍した日本の建築家で特に住宅で数々の名作といわれる作品を作った建築家で、
著書も多く住宅にかかわる人間であれば1度は必ず読んだことがあるような、教科書となるような建築家です。
その作品は年月を経た今でも輝きを失わず私たちに多くの事を教えてくれています。
そんな宮脇檀のドローイング(手描きの図やスケッチ)展が渋谷の建築家会館で開催されていたので見てきました。
宮脇檀は多く旅をしたことでも有名でそのドローイングは旅先で泊まったホテルを実測したり、設計した物件の
イメージを所員やクライアントに共有したりする貴重な資料を多く見ることが出来ました。
その手から描き出される図はどれも美しくまるで絵画を見ているような感覚すら覚えます。
勿論そこには設計の要旨となる部分が的確に描かれ、その建築の構想から実施に向かって
細部まで詰めてゆく隙のない流れを見せています。
その中でも目に留まった一枚がこの「グリーンボックス」という住宅のドローイングでした。
通常、こういったパースには提案の内容を説明するような文章が書き添えられますが、
この図には「原色の色を塗ろう」とあたかも誰かに話しかけるような言葉が書き添えられていたのです。
それが所員へあてたものなのか、クライアントに向けたものなのか分かりませんが、
もしかしたら宮脇檀が手で描き、手で考える中で宮脇とその建築とが語り合っていたのかもしれません。
「上手い建築図面という以上に「愛」の記録なのではないでしょうか。
私たちがお客様に提案する時はCADで描いた図面やCGパースなどで提案しますが、
実際にプランを考えるときはやはり手で考えています。
こうして提案までには数案考える事もあります。
これからも私たちが考えた事を少しでも多くしっかりとお客様に伝えられるよう努力していこうと思った展覧会でした。
「中山邸最後の見学会」
もう一つ、宮脇の仕事に触れたのが、埼玉県川口市で行われた「中山邸最後の見学会」でした。
この中山邸は宮脇檀が晩年、1983年に手掛けた住宅で、9月に解体が決まってしまい、
その所有者のご厚意により開かれた最後の見学会でした。
中山邸は平屋建てで宮脇らしい軒を低く抑えた住宅で、著書の中でも何度か取り上げられた晩年の代表作の一つです。
中山氏はもともとこの地の庄屋の家で茅葺の立派な家が建っていたそうです。
宮脇がこの住宅を設計するにあたりまずクライアントに提案した事は
「その土地に元々あって環濠を潰さず逆に浚渫して再生させる事」
「朽ちかけている長屋門は屋根を葺き替えて再生する事」
「敷地内の木は基本的に1本も切らない事」
「周辺の多くの家が瓦屋根であるから新しく建てる家も瓦屋根の5寸勾配以上の屋根とする事」
「敷地内にある祖父以来の灯篭や大鉢、庭石などは全てなんらかに使う事」
でした。
こうしてみると宮脇はこれから自分が設計する事になる母屋について、最初の提案ではほとんど語ってはいません。
これらは「敷地から与えられた与件」としてその土地が持つ気候、地形、地質や植生、
過去の歴史からの積み重ねなど「土地のヒエラルキー」と呼び「これを受けて建物を建てる事が
人間の土地への礼儀なのだ」と語っています。
そんな土地から与えられた与件に従い設計をされた中山邸はRCの壁と木造の屋根が
見事に一体となった素晴らしい建物でした。
その中でとりわけ感動した事がありました。
それはこの主寝室に設けられた出窓式の天窓です。
これは宮脇の著書の中でも紹介されていた天窓で、何も分からなかった建築を学び始めた私が
その著書の中でとても感動し、住宅の仕事に興味を持った一つでした。
一見何も無いような出窓は上部が全てガラスで作られ柔らかな間接光で室内にグラデーションを作っていました。
この実物が見られた事が本当に嬉しくて、何度も何度も見て、自身のスケッチブックに書き留めました。
この日はあいにく時間が少なく、参加者も多かった為ゆっくりその住宅を感じる事はできませんでしたが、
初学の頃の気持ちを思い出したとても充実した時間でした。
最後に私と年齢がほぼ同じで大きな影響を受けたこの住宅を見ることが出来た事に所有者、
関係者の皆さまに感謝してこれからの仕事に生かしていきたいと思います。