2014.7.21
設計の池田です。
先日、武蔵小金井にある江戸東京たてもの園に行ってきました。
ここは小金井公園の敷地の中にあり、江戸から昭和初期にかけての約30棟の復元建築物を展示している野外博物館で、区画整理や建て替えなどによって現地保存が不可能な文化価値の高い歴史的建築物を移築、復元してある所です。
園内の建物もすべて素晴らしい物ばかりなのですが、今回は建築家の土浦亀城に関する展示があるという事で行ってきました。
みなさんは土浦亀城という建築家をご存じでしょうか?
土浦亀城は昭和初期に活躍した建築家ですが、残されている作品は多くないのでご存じない方も多いかと思います。当時、旧帝国ホテルの設計の為に来日していたフランク・ロイド・ライトがその任を解かれた後に信子夫人と共に渡米、師事し、帰国後に住宅の設計を中心にオフィスビル等を手掛けました。
氏を一言で言い表すとすれば「天才」という言葉が最もあっているかもしれません。
氏によって作られた住宅は当時当たり前だった「土壁」を使わず、乾構造と言う壁(木造の骨組みに石綿スレートで仕上げた外壁やボード状の材料で仕上げた内壁)を考えだし、左官工程を作らない事で工期の短縮をはかり、建物全体を必要最低限の大きさに抑える事で、当時高価だった住宅のコストダウンを実現させました。
また、昭和10年に建てられた氏の代表作でもあり、現存する数少ない作品でもある「土浦邸(自邸)」を説明する際にこう語っています。
「外部は乾構造とし、平面計画としては部屋を鍵やドアで区切った小室にすることをなるべく避けて、家全体を1室のようにすると同時に床の高低や家具や階段の配置によって、各室の独立性も失わないように工夫しました。」
「敷地に高低があったのでこれを四段にし、第一段は道路面、これより四尺(約1.2m)上がると二段目の地下室の床、さらに階段を数段上がると第三段目の玄関の床、また四尺上がると居間・食堂の床のある四段目となります。そこからさらに階段を上った所にギャラリーを取り、さらに数段上がった食堂の上を寝室としました。寝室は居間に向かって開けっ放しになっておりカーテンを開け閉めする事で居間の一部のようにしたり、独立した部屋として使う事ができます。」
↑土浦邸1/5模型
これはまさに寝食の分離、ワンルーム空間でありながらスキップフロアによる視線の操作、可変性のある間取りであり、現代の我々建築従事者が行っている設計方法に他なりません。
また、乾式の壁やパネルヒーティング等当時では思いもつかないような工法や設備も導入しています。
戦後70年かけて我々が進めてきた住宅の工法や設計方法を昭和10年当時にすでに一人で実践していたと言う事なのです。
まるで現代を見てきたかのような閃きと設計は「天才」と言う言葉以外、氏を表現する方法が見つかりません。
そしてその住宅が約80年を経過した今も現に人が住んでいる現役の住宅なのが更なる驚きなのです。
↑設計当時のイメージ図
↑現在の土浦邸
こうして今もなお、当時とほとんど変わらずに今も使われているというのは、驚くべき事でもありますが、もちろん全くメンテナンスをせずにと言うわけではありません。
外壁はスレートから縦羽目板、屋根はシンダーコンクリートから鉄板葺き、室内の彩色等に変更され、2013年に大規模な外壁と内壁の補修工事を行っています。
今後も多くの補修が必要になってくる状況で、所有者の方が個人的に維持していくには難しい状況になっている事も事実です。
そこで今年になりこの名作住宅を維持、保全していく為、建築家の槇氏、藤森氏が中心となり土浦邸フレンズという組織を立ち上げました。
http://tsuchiurateifriends.org/
この素晴らしい住宅が長く残り後世に引き継がれていくことを一個人ながら願ってやみません。