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和モダン | 中庭のある家 | 吹き抜け・大空間 | キッチン・バス | シンプルモダン | ガレージハウス |
テラジマアーキテクツでは、構造の安定性など10項目の「住宅性能表示制度」について、常にトップレベルを目標としています。(内5項目は最高レベルを標準化、その他は要望により対応可能。
維持管理基準で「30分間の平均値で1立方メートルにつき0.1mg(0.08ppm)以下」と定められているホルムアルデヒド測定。健康住宅を真剣に考えるテラジマアーキテクツでは、分析機関を通じて、分析結果をお知らせしております。住宅性能表示制度では、空気環境のホルムアルデヒド放散等級は、最高ランクの4。空気環境を大切にしています。
外断熱の家は、建物の構造躯体の外側に、防湿層をラミネートし、断熱材を張り付けています。家の外側をしっかりと包み込むことで、冷暖房コストの削減や結露の防止、さらに温度差によるヒートショックを防ぐなど、快適で健康的な住環境を実現します。
吹き抜けやコートヤードなど、開放感あるデザインが特徴のテラジマアーキテクツの家。開口部が大きいからといって耐震性を犠牲にすることは絶対にありません。きちんと構造計算を行って造りあげるSE構法(SE工法) 「重量木骨の家」は、驚くほどの高強度。SE 構法(SE工法)は、住宅性能表示制度では、耐久度数で最高ランクの3。高度な耐震性を保持しつつ、大空間、大開口、吹き抜け、屋上バルコニーなど、一般在来木造や2×4工法では困難な大空間を実現します。テラジマアーキテクツは、このSE構法( SE工法) を全国標準としているのです。
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プロフィール
-横浜市・F様-(2007年お引渡し)
家を建てる際に、F様には譲れないポイントがありました。
「まずは外断熱です。いろいろ調べてみると、内断熱よりも、外断熱の方が断然効率がいいというのは明らかでした。そして次に重視したのが、耐震性。関東大震災が近い近いと言われているので、ここは譲れないと思いました。耐震性と外断熱というのは是非取り入れたいと」
F様の家づくりはこうしてスタートしました。まずは「住宅メーカーと建築家さんを含めて4〜5社に」頼まれたそうです。
しかし明確なコンセプトを掲げた家づくりも、苦戦することに。
「ハウスメーカーと言うのは当時、耐震性は問題なかったんですけど、外断熱については、ほとんどやっているところが無かったんです。
あとこちらの要望に対して、何か一つは秀でていても何かが足りないことがよくありました」という経緯で建築家にお願いすることになったそうですが、しかしここでも問題が発生したそうです。
「建築家さんというのは、設計だけで工事まではしてくれません。だからその建築家さんのプランに対して外断熱と耐震性をきっちりやってくれるところを探していたんですけど、なかなかいい人がいなくて。建築家さんがよく仕事をなさる工務店というのは耐震性に不安のある在来工法で、逆に耐震性に優れているところは外断熱ができなかったり・・・」
実際に工事に取り掛かることがなかなかできなかったそうです。その結果、
「(家づくりが)全然進まずに時間ばっかりが過ぎました。もうスタートして欲しいのに一向に始めてくれなくて」
いい住宅とはいい設計図だけでは成立しません。そのプランを実現するだけの技術力が当然必要になってきます。
「そうこうしているうちに再度インターネットで住宅関連の情報を見ている時、テラジマアーキテクツに行き当たりました。面白いものをつくっているし、ホームページを見ても、外断熱の売りだとかSE構法のことをきちんと謳っていて、自分の意には添っているなと思ったんです。ちょうど会社の通勤に駒沢通りをよく往来していたので、プランだけ作ってもらおうと思って、テラジマさんにプランを依頼しました」 F様はとにかく情報収集に対しての労力を惜しまない方です。例えばプランを描いてもらった建築家は知人の紹介だったそうですが、いろんなプランを見て比較するために敢えてハウスメーカーにも依頼をし、冷静かつ客観的に検討されたといいます。恐らくこの時も単純に寺島の描くプランもご覧になってみたいと思われただけかもしれません。ところが・・・
「出来上がってきたものが、私の想像に近いプランだったのです。何よりすごく理にかなっていたところが気に入りました。契約していた建築家さんのプランは、上から見ると完全に真四角だったんですが、今のこの家は『ト』の形をしているんです。真四角だともっとこの建物自体が(敷地の)奥に建つことになって、庭ももっと狭かった。どちらかを広くとればどちらかが狭くなるような感じでした。でも『ト』の形だとガレージも作れるし、庭も広く使える。テラジマさんが出してきたプランというのは土地を有効に使った、なかなか面白いプランだなと思って」
これほどの評価を頂いたのですが、実はこの時点では「建築家さんとはもうスタートしていたし、手付金も払っていた」のだそうです。
「施工はまだだったんですが、設計の契約をして契約金も支払っていました。ただ私としてはどうしても建築家さんの仕事がスムーズにいかないことに不満を持っていました。ですからほんとうに迷いました。建築家さんに払っているお金はたぶん無駄になっちゃうし、どうしようかどうしようかと。でもやっぱりテラジマさんのプランが良かったし、何と言っても耐震性と外断熱が標準だった。それに自社で作るというのが魅力的だったんですね。この3つにおいて、やっぱりテラジマさんでした」
ここまで納得して頂いた上で、弊社をお選び頂きましたが、実はここまでたどり着くには「2年はかかってないけど1年半ぐらい」の期間を要したそうです。一生に一度の大きなお買い物において妥協なさる方はいらっしゃらいませんが、それにしてもここまで妥協しないことを貫かれたその姿勢には驚かされました。
ご契約頂いてからのことをお伺いしてみました。まずF様が重視なさったのは現場だそうです。
「現場にはしょっちゅう来ていましたよ。実はインターネットに良い現場のチェック方法というのが載っていまして、例えば大工さんが仕事を終えて帰った後に煙草の吸殻やゴミが散乱していたり、大工道具が使いっぱなしになっている現場は良くないとか。でも御社の現場はとてもきちんとしていました」
またF様は現場をご覧になられることで、「構法」に対する信頼感もより強められたそうです。
「実は一番最初にSE構法を聞いた時、自分の中で否定したのは集成材でした。輸入の木を接着剤で張り合わせたものなんか、ベニヤ板みたいな感覚だったんです。でもいろいろ調べていくうちにちゃんと理にかなったものであるとわかりました。実際に見ても、あの梁や柱のゴツさには圧倒されましたしね」
またこんなご感想も。
「基礎の棟梁なんかは風貌がすごく頼もしかったのを今でも覚えています。SEや外断熱というのはそういうベテランさんは対応できないのかと思っていましたけど、逆に安心して見ていました。あと柱とか梁も、全て計算された設計だということも安心でした。あれが在来工法だったらある程度大工さんの勘と経験に委ねられますよね。その不安がSE構法で組み上がっていく現場にはありませんでした」
建築中の現場というのは迫力に溢れています。それを直にご覧になられることは、言葉以上の説得力を得られるかもしれません。F様には現場をご覧頂くことで、より一層テラジマアーキテクツや職方に信頼を頂けたのではないでしょうか。
最後に、お気に入りの場所を伺ってみました。
「和室のつくりは満足していますね。欲しかったし、やっぱりごろんとできるのがいいですね。そしてお風呂がいい。伊豆石を自分で探して使ったのですが、すごく気に入っています。手入れがちょっと大変ですけどね(笑)」
当初からまったく揺るぐことのなかったF様の家づくり。お引き渡しから2年近くが経過した現在ですが、「満足しています」というそのお言葉はとても力強く、頼もしく感じられました。
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横浜市F邸
横浜市N邸
横浜市F邸
横浜市M邸 |
横浜市M邸
横浜市U邸
横浜市N邸
横浜市U邸
横浜市U邸
横浜市M邸 |
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テラジマアーキテクツの家づくりは、すべての工程を自社内で行っています。
自社で直接施工するため、お客さまのとの距離が近くなり、細部に至るまで、お客さまのご要望に沿った家造りが可能です。
フットワークの良さを活かし、綿密な打ち合わせを重ねながら施主参加型の家づくりを実現していきます。
お打ち合わせ | 外観パース | 地鎮祭 | 基礎工事 |
上棟式 | 木工事 | 仕上げ工事 |
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 』
横浜市外から横浜へ移住して注文住宅をお考えの方はご参照下さい
横浜市(よこはまし)は、関東地方南部、神奈川県の東部に位置する都市で、同県の県庁所在地。政令指定都市に指定されている。日本の市町村で人口が最も多く、神奈川県内の市町村で面積が最も広い。日本で東京都区部に次ぐ人口、第2位である。
[概要]
横浜市は、東京都心から南へ約30km、東京湾に面した神奈川県で最大の都市である。市政の中心地は関内地区(中区の関内駅周辺)で、市域の中央駅は横浜駅(西区)。経済活動の中心は関内地区から約3km北の横浜駅周辺地区へ移っており、両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、中心部の一体的な発展を図っている。
市域は、鎌倉に鎌倉幕府が置かれた鎌倉時代から本格的に開発され始めた。江戸時代には江戸幕府が置かれた江戸に近いため、幕府直轄地や旗本領が大部分を占め、藩は小規模な六浦藩(金沢区)のみがおかれた。また、大きな港を持たない鎌倉の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊(神奈川宿、神奈川区神奈川)が、早くから栄えた。江戸時代末期には、神奈川湊沖で締結された日米修好通商条約により、「神奈川」を開港場にすることが定められた。
実際には神奈川湊の対岸にある横浜村(現在の中区関内地区)に新たに港湾施設が建設され、短期間に国際港の体裁を整えた。1859年7月1日(旧暦:安政6年6月2日)に開かれた横浜港は「金港」とも呼ばれ、生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として急速に発展。横浜を日本の代表的な国際港湾都市へと発展させる礎となった。
1889年(明治22年)4月1日に市制が施行され、横浜市となった。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4km? にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.38km? (平成18年)となっている。
1927年(昭和2年)の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18区となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は第二次世界大戦中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では約360万人となった。これは日本の市では最も多く、人口集中地区人口も東京特別区に次ぐ。1956年(昭和31年)には政令指定都市に、1988年(昭和63年)には業務核都市に指定された。市域が広大なため、多摩田園都市や港北ニュータウンなど市内北部・東部を中心に市の中心部よりも東京都心への接続が便利な地域も多く、市の中心部との交流があまりない地域も多く存在する。
[地理]
市域は神奈川県の東部にあたり、東経139度43分31秒(鶴見区扇島)から139度27分52秒(瀬谷区目黒町)、北緯35度35分33秒(青葉区美しが丘)から35度18分44秒(金沢区六浦南)に位置する。東は東京湾に面し、北は川崎市、西は大和市・藤沢市・東京都町田市、南は鎌倉市・逗子市・横須賀市に接する。市域の面積は神奈川県の約18%を占め、県内の市町村で最も広い。
[人口]
横浜市の人口は、1942年(昭和17年)に100万人を超え、戦時中は減少したものの、1951年(昭和26年)に再び100万人を超え、1968年(昭和43年)に200万人を超えて名古屋市を抜き、1978年(昭和53年)には大阪市を抜いて東京都区部に次ぐ大都市中第2位となり、1985年(昭和60年)には300万人を超えた。現在は、3,670,411人(2009年7月1日現在)と、全国の市で最も多くなっている(人口順位も参照)。市の人口が多い理由は、市域面積が大きいこと(横浜市の面積は、神奈川県の総面積の18.0%を占め、市人口第2位の大阪市の面積の約2倍にのぼる。)や、山地湖沼が少ないことなどが挙げられる。また、第二次世界大戦後に急速に人口が拡大した理由は、戦後復興に伴い京浜工業地帯や関内駅・横浜駅周辺など東京湾沿岸部の商工業が発展したことや、高度成長期以降に顕著となった東京一極集中により、地方から都市部への人口流入が進んだこと、市郊外の私鉄沿線に沿って宅地開発が進み、ベッドタウンとしての性格も持つようになったことなどが挙げられる。特に、横浜都心に直接接続しない田園都市線沿線や横浜市北部を中心とした港北ニュータウンの開発は、横浜に住んで東京に通勤通学する横浜都民の増加をもたらした。平成12年度(2000年度)の国勢調査によれば、横浜市の昼夜間人口比率(常住人口(夜間人口)に対する昼間人口の比率)は90.5%となっている。横浜市の昼夜間人口比率は長らく低落傾向を示していたが、1990年代初めに底を打って以来、上昇傾向に転じた。
行政区別の人口が最も多いのは港北区の323,358人で、以下、青葉区300,444人、戸塚区271,722人、鶴見区269,538人と続く。人口の最も少ない区は西区で91,888人、以下、栄区124,750人、瀬谷区126,875人、中区143,764人と続く。
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